読書日記
今年の5月は一日も欠かさずに本を読んだ。
6,7,8,9月は仕事が休みには読まない日もある。
基本的には通勤の友だからね。
趣味って休みの日にするものだと思っていたけど、必ずしもそうではないんだな。
だけど5月ではなく、ここにきて急に本の読み方がわかってきた気がする。
本を読むのが早くなった。
本を読むことにも慣れってあるんだね。
今の生活って、文字を読まない日はないから読書速度が変わることはないのかなと思っていた。
本を読むのが早くなったら、もっといろんな本が読みたくなった。
今年は23冊の本を読んだ。
インターネット上に溢れている作品も読了のリストに入れたら、どれだけの量になるだろう。
書籍は専ら電子で読んでいる。
手軽に持ち歩けるし。汚れや折れを気にする必要もない。
文字の大きさも変えられるし、なによりも一番気に入ってるとことは背景は黒・文字は白の配色に変えられるところ。
これは本当に読みやすい。
なぜか昔から他人よりも物が眩しく見えやすいようなので助かる機能。
眩しく見えるよう、というのは、実際に他人の見え方を体験したわけではないので事実かはわからないけれど、昔から集合写真で一人だけ眩しそうな顔で写っていたり、私が眩しいと言うと、家族は別に眩しくないと言ったり、そんな程度の具合なのだけれど、とにかく白背景の眩しさは黒背景を試した今、もう戻れないなと思う。
でも本当のところは、紙の本が読みたい。
電子書籍は素晴らしい。とにかく軽いし、自分の本棚を持ち歩いているみたいに何冊もの本を入れられる。場所を取らない。
だけど、紙の本が読みたい。
触った感覚や本の香りが好きだなと、電子書籍を読むようになって一層感じた。
便利になる、ということは、味気ないということと同じなのかな。
本に関してはそうかもしれない。
最近読んだ本はほとんど全て面白かった。
でも気になったのは、自己啓発の本というのは、どうしてあんなに内容が一緒なんだろう。
・言われたことをちゃんと行動すること・思いついたことは奇抜だと思えることでもやってみること・いろんな人と対話してみること・学び取ること・旅行すること・本を読むこと
だいたいそんなことが書かれている。
それだけ同じ内容のものをたくさんの人が読んでいるはずなのに、どうして成功している人は少ないのだろう。
あと昔私に、1000万稼げるようになる、といったビジネス本を押し付けてきた年上の後輩男性は、果たして1000万プレーヤーになれたのだろうか。
考えをより良いものにするのはとても大事なことだし、向上心があることは素晴らしいことだと思うけれど、本人が1000万稼いでいないのに自信満々に貸し出されても説得力はない気がする。
それも昔のことなので、今は彼が1000万稼いでいたら格好いいな。どうだろう。
そう、面白かったのは、芦田愛菜のまなの本棚。
私が読んできた本とは少し違って、興味がすごくわいた。
私も同じ本を読んだ人たちと感想をしゃべりあいたいな。
さかなクンの一魚一会も、私がとても体験できそうにないことがたくさん書いてあって、しかもそれが楽しそうに書かれていて、前向きな気持ちになれる面白い本だった。
物語で言うとやっぱり山本周五郎のさぶに匹敵する衝撃の作品はなかなかないけれど、西條奈加の本を今年だけでももう5冊は読んでいるから、多分私に合っているんだと思う。
善人長屋シリーズと、まるまるの毬とその続編。
優しい語り口が好きだから、女性作家の方が入って来やすいな。
これも、瀬尾麻衣子の図書館の神様に出てくる垣内君のおかげ。
さぶから時代小説を読んでいる。でも垣内君もまなちゃんも読んでいた、川端康成の雪国も読んでみたいな。
たくさん買ってしまったからその順番がくるのはいつになるかわからないけど。
今気が付いたけど日本語が好きなのかもしれない。外国語が出てこない本が好きなのかもしれないね。江戸時代の小説をこれだけ気に入って読んでいるということは。
あと文章って合う合わないが結構出るよな、と思う。
だからもしかしたら海外の有名な児童書シリーズなんかも、翻訳家が違えばシリーズ全て読めたかもしれないよね。
明日も本を読もう。
さ、寝るか!